とある主婦からみた日常

楽に生きよう。楽を選ぼう。(トアシュフα版)

サタデーステーション 避難所の違いに日本の潜在メンタリティーを見た。

f:id:toa_shufu:20181002135950j:plain

 

昨今、災害続きの日本。避難所の映像を見る機会も増えている気がします。

先日、サタデーステーションで日本の避難所とイタリアの避難所の

違いをディーン・フジオカさんが取材されていました。

 

日本の災害時の避難所といえば、体育館。

広い体育館に、なんとなく仕切りを作って、たくさんの人が体育館

というおおきな家を共有。寝床は、段ボールの簡易ベッドを設置。

1人当たり1畳のスペースで生活。

食事は、温かくないおにぎり。弁当など。

 

取材されていたイタリアの地震での避難所は、屋外ではあるものの、

各家庭にテント1張り。それも1人当たり3畳のスペースを確保した

エアコン設置できる大きめなテント。さらに、なんと、簡易ベッドも支給。

これらが災害発生から24時間で支給されるしくだそう。

(避難生活が長くなるとマットレスまで支給されてしまう)

さらに、食事は各地から集まったシェフがふるまってくれる。

すなわち、温かい食事。ワインなんかも、支給される日があるみたい。

 

 

私がテレビで見たその映像で、一番印象に残ったのは、子ども達の姿。

日本の避難所の子ども達は、元気がない。

イタリアの避難所の子ども達は、肌ツヤもよく、キラキラして元気。

 

 

たまたま、映像に映った子ども達がそうだったにしてもです。

この違い、なんだろう。。子どもの違いが印象的すぎて。

 

 

我が家が日本タイプの避難所に行くことになった場合を想像すると

けっこう気分が沈む。

 

 

私は、どちらかというと神経質なタイプ。

日本タイプの避難所だと、おそらく早い段階で私はうつ病になり

そうな気配を感じます。

 

 

ただでさえ、避難しているという状況が心身ともにしんどいところへ、

集団で生活し寝てください。といわれても、多分、かなり厳しい。

しかも、ごはんも冷たい。そして同じ内容の食事が繰り返される。

子どもが騒ぐ事も、あらゆる場面で阻止しないといけなくなる。と

すると、前向きに生きてる実感を感じる瞬間が想像できない。

 

私にとっては、かなり過酷なサバイバル状態に陥ります。

 

できたら、

避難所は、命だけでも助かってよかったー!

今から、またいいことあるかもしれないし!

 

と思わせてくれるような場所であってほしい。

 

 

そして、今回の番組を見て、

なっ、なんてこどだ!

と驚いた事が一つ。

 

潜在的に自分の中に潜むヤマト魂の存在。

 

ザ・我慢こそ、忍耐こそ美徳!

 

ってやつ。

 

正直、避難所は基本「我慢するしかない」場所と無意識に思いこん

でいた自分に愕然。命が助かったなら、それ以上求めてはいけない。

必要最低限、屋根があるところで過ごせたらありがたいし、ラッキー

と思うべし。

 

と、どこかで思っている自分がいて、今まで避難所のニュースを

見ても、避難所は変われるという意識が湧いてこなかった自分。

 

この、

我慢と忍耐こそ美徳。

 

という意識。あまりにも刷り込まれ過ぎていて、避難所にとどまらず、

ありとあらゆる生活の場面で、自分や他人に課している可能性が

ある。と、急に怖くなってきました。

 

 

そういえば、先日食あたりで点滴する事になってしまったのですが、

気持ち悪くてゲーゲー吐き続ける私に、喉を傷めるから吐かないで!

と看護師さんに怒られました。意識は朦朧としながら、かってに体が

吐く状態でも自分の意志で我慢しなさい。という要求です。

しかも、動いたらベッドから落ちるから動かないで。と怒られました。

猛烈にしんどすぎて、自分が動いているかどうかも自覚できなかった。。

それは、我慢しないといけない事だったのだろうか?

しかも、怒られないといけない事だったのだろうか?

 

 

我慢と忍耐、必要な時あります。でも、そんな頻繁に必要としないと

思います。

でも、それをすると「美徳」というタグをもらえると錯覚していると、

我慢と忍耐が本当に必要な時、そうでない時の精査をされないままに、

とにかく我慢と忍耐をしたら何とかなるという意識が根付いていたり、

場合によっては、我慢と忍耐で乗り越えられないなんて、人としてアウト

ですよと言われかねない。

私の場合、相当根付いてます。。反射的に我慢しようとします。

 

 

「我慢と忍耐」は対処法としては最後の砦で、それを執行する前に

我慢・忍耐せずにやれる方法、楽しくなる方法をいろいろ試してから

でも遅くないんじゃ?と思います。

 

 

避難所に於いては、

本当に必要な事とは、人の心臓が止まらないようにする最低限ではなく、

人が心も身体も健康的に生きられる事を最低要素として、設置・運営

される場所であってほしいと切に願います。

 

 

生きてるって素晴らしいって、思える避難所であってほしいと

心から思います。

 

そして、私は今日から「その我慢は必要か?それは忍耐で解決する問題か?」

を常に頭のどこかに置きながら生活してみようと思います。

 

 

トアシュフ