とある主婦からみた日常

楽に生きよう。楽を選ぼう。(トアシュフα版)

30年近く前の事に、いまだに怒っている自分がいると気がついて愕然とした。

学期末、子ども達の懇談会があったりする季節。

 

私も、息子の先生との懇談があります。

 

が。。毎回、異常な程緊張します。

 

 

面談前の待ち時間など、冷や汗がでてきます。

 

 

安定剤を飲んでいっても、パニック発作が出そうな

恐怖におそわれます。

 

 

長年、

なんでだろう?

なんでだろう?

 

 

と思っていたのですが、

 

ある時、ふっと思いました。

 

とりあえず、学校に行くのが嫌だ。

とりあえず、先生と話すのが怖い。

ものすごい恐怖がある。

 

 

なぜなら、

 

きっと、ひどく怒られるから。

 

という思い込み。

 

 

幸いな事に、息子たちの事で

先生に怒られた事など、過去に一度もないのです。

 

 

でも、怖い。

 

 

なぜ怖いのか。

もうちょっと思いを巡らすと、

1つ思い当たる事が。

 

 

自分の小・中・高に、もれなく怖い先生がいた。

 

 

私の場合、

立たされる。

外に出される。

そんなのは、序の口で、

 

どなられる。

ビンタされる。

黒板消しが飛んでくる。

チョークが飛んでくる。

先生の靴が飛んでくる。

髪の毛をつかまれて、振り回される。

後ろから髪をつかまれて、引きずりまわされる。

 

 

私だけでなく、

たくさんの生徒たちが同じように

やられていました

足蹴りをくらっている人もいました。

 

 

私が不良だったから?

 

 

いえいえ、ちがいます。

きわめて普通の生徒でした。

 

 

怒られる原因は、

宿題を忘れる、とか、走るところを歩いていた。

草取り中に、くすっと笑った。

とか、そんな事です。

 

 

とにかく、怒られる、叩かれるのが

日常の風景になっていました。

 

 

もちろん、先生から見て、私の何かに

しかるべき点があったから、

そういった事態になっていたのだと

思いますが。。

 

 

でも、どこかに

「なんで、こうまでされないといけないのか?」

 

 

という成仏できない思いが、

大人になった今でも、残っているようなのです。

 

 

時代がそうだったから、仕方がない。

そうやって、生徒たちを従わせるのが

教育現場の主流だった。

 

とも思いますが、

 

果たしてそうだったのか?

 

私は、私が受けた形での指導に対して、

全然納得いってなかったみたいです。

 

 

先生たちの中で、これが本当に教育なのか?

自問自答する事ができたのではないか?

 

暴力がおかしいという思いも、

少しあったのではないか?

 

 

大人になった今、彼らの行為が、私の中には、

こんな風に残ってしまいました。

 

冷静に善悪の判断ができない

盲目的な大人たちから

無差別に攻撃されたという悲しい思い。

それから、

それに対する怒り。

 

 

でもそれは、もう過ぎてしまった事。

この、感情、どうしたらいいんでしょう?

 

私も、どこかで誰かをいまだに怒らせた

ままかもしれないし、

 

お互い様ですね。

としておくしかないのかもしれません。

(が、それはなかなか難しい。

 主観的に怒れるものは、怒れる)

 

 

 

それはともかくも、

自分の感情がひどく揺さぶられる

場所や、

時には、

何か、自分の中に隠れている

「思い」や「経験」が

ある可能性大で、

 

「なんで、ドキドキしちゃうの?」

「なんて、私、ちっせー。」

「こんなの平気じゃん」

 

みたいな、私の勝手な自己攻撃はやめてよくて、

 

 

なんか過去に大変な事があったんだな。

自分、頑張って生きて来たんだな。

 

と思う事にしようと思います。

 

 

そもそも、私の為の懇談会ではなく、

息子の為の懇談会だったりするのにねぇ~。

 

(ついつい、自分の事で頭がいっぱいになっちゃう。

 自分好き過ぎか? あはは。)

 

 

それにしても、今回の件、

自分が想像以上に怒りを懐に

しまっていた事に、

愕然といたしました。

 

 

 

以上、トアシュフでした!